味噌煮
 3月下句から4月、庭の雪がなくなるころまでにどこの家からか、代わる代わるに味噌煮の匂いが流れてくる。大豆のよく煮えた匂いだ。
 まず大豆を水に浸す。大釜で煮たてる。釜の縁ヘワラを丸く束ね、相撲の土俵の俵のようにしたものを当て、豆が増えてきて盛り上がっても大丈夫なようにしてある。煮え始めはまだ大豆は白いが、弱火で6〜8時間焦げつかせないようにじっくり煮る。だんだん黄ばみ、やがて飴色になると親指と薬指にはさんだだけでもすぐつぶれるようになる。独特の匂いが漂う。水もほとんどなくなるくらい煮詰めるのがコツだ。焦げつかせてはならないので、火加減が難しい。かき回すシャモジ型の「木スキ」は自家製のナタ削りだ。年季が入っているので、赤黒くつやがある。
 大釜を焚いているので家中平素より暖かい。その代わり匂いも家中へ広がっている。朝早く炊き出しだのを午後3時ころからつぶしにかかる。ひと釜浸す前の量で2斗、これが倍ぐらいに増えている。ザルからあげたものを味噌つぶし器のじょうごへ入れる。ハンドルをもって回す。子どもにはなかなか重労働だ。豆はつぶれて小孔から次々と押し出される。回転のたびにら線状の筒から豆は送られ、蜂の巣のように小孔のあいた小皿ぐらいの円盤と歯のついた十字の包丁の間を豆が通るので、つぶされるというより切断される仕組みだ。
 半切れ桶に落ちたつぶされた豆は、子どもの頭ほどの大きさの円筒形に丸められる。これは女衆の仕事だった。整った形に丸めた人は「きりょうよしの赤ん坊を生める]とほめはやされた。丸めた味噌玉は2ヵ月近くも並べて放置。やがてこれを刻んで、こうじと一緒にねかせ、塩を交え桶に詰め、早くても3年後に食膳へ出されることになる。これらの味噌仕込みの第一の仕事が、農閑期のこのころ行われていたのだ。家族数にもよるが、1軒でだいたい6〜8斗ぐらいを必要としていた。共同の味噌つぶし器を次の家ヘリレーし、味噌煮の手伝いは終わった。
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