大根のきんぴら このページのTOPに戻る   

 昔からさわぎ事があるときは必ず作るのが、大根のきんぴら。信濃町は昼と夜の温度差が大きく、大根がじわりじわりと大きくなり、おいしい大根が出来るのが一つ。また大根は、どんな食べ物と煮ても相性が合う。残った時はまた温めて食べるといっそうおいしい。こんな所から大根のきんぴらが好まれているのだと思う。
 作り方は、大根をたんざく切りにし、しいたけ、にんじん、こんにゃく、ちくわ等、いろいろなものを適当に切って、油で炒め、しょう油、砂糖、酒などで煮こむ。むかしは、種々の調味料を使わず味噌漬けの味で味付けし大根のかもしだす甘味でじっくりと煮込む。これがまたすこぶるうまいものであった。

 五岳会 原山 文子

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芋のっぺ       
 私が生まれた六月集落は、新潟件との境にあり婚姻関係もしばしば行き来があったせいか、たっべものや方言が大分入って来ていた。
 芋のっぺもその一つである。年始客とかお取越し、法要・婚礼・集会等には欠かせない伝統食である。のっぺと云う語源は新潟県からのもらしく、野尻とか柏原・富士里の新潟にちかいところは芋のっぺと呼ぶが、古間の方へ行くと芋のくぞかけとか言われている。
 作り方は、じゃが芋・人参・椎茸を油で炒め、醤油・砂糖等で柔らかく煮て、最後にくず粉をかけてとろりとさせる手軽な料理であるので常時でも作れるが、春、作立ちの頃芽吹いて来るじゃがいもを消費するために、田んぼのこびり等に食べるのもおいしいものである。時代が移り変わるにつれて、肉を入れて肉じゃが等が喜ばれるようになったが、芋のおいしいこの信濃町での伝統食の一つとして、後世に残したい味の一つでもある。

 ささの実会 黒田 ユリ子

 

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手打ちそば       
そば名人 二ノ倉 服部はつ枝さん(八十四才)
 昔から蕎麦はどこの家でも作った。オラ方は米どころであるけれど、米はできるだけ出した。(供出して売った。)夕飯はいつもそばを食べた。たまには米のシイナ粉のおだんご(すいとん風)を食べた。まずかった。わがままは言えなかった。それが夕食だから。
 夕方暗くなるまで外にいるし、今のように明るいうちから作らなかったでエ。オレのおかっさんは、二升ずつ二升ずつ毎晩つくった。小麦は、この地では作らないのでそば粉だけだ。そばを打ちながら回りのたちを真ん中に入れていつの間にか広げてしまった。一升ずつ打つと手間がかかるから、なにしろ子供が八人もで待っているいるから。今思うと手早やだったんなア。二升玉のそばは大きくなるよ。オラも打ったけど二升なんて打ったことはない。広げたそばは、こま板で切って。毎晩だから子供だし、食べるときはやだかった。「わがままいうならくらうな。」と言われた。

 玄そばを粉にひく。

○はぎりの中へ玄蕎麦をあけ、足で端からじくじく踏みつけて箕でふく。
○皮をとるため石臼で軽くひき、めはなと砂を「そばトオシ」でおとす。
○ガラガラと石臼でひく。皮と身を離す。箕でふき。
○石臼にかけ粗いと細かいのとに分ける。あらびきである。このときつぶれて出た粉が下粉である。
○粗い粉をさらに少しづつ入れてはひく。「ぐるぐる」ゆっくり回しながら、何度も何度も繰り返し細かい粉にする。

 家で粉をひかない時は車屋へ出した。

そばを打つ

① なま粉がない様に湯じめをし、なま粉をころし、軽く握って親指をソットそえるとくずれる位にする。熱湯で処理する。
② 湯じめしの出来たものを水でこねる。こねていくうちにねばりが出てくる。耳たぶ位の堅さが目安。

食べ方は、すましで食べる。

 味噌を煮出し、すまし袋(三角の麻袋)に入れて台所の隅にぶらさげておき、たれてたまった汁(たまりという)煮干しのだし汁の中へ味付けて食べる。出しは煮干しくらいのものである。昔は、醤油はおひたしにかけたくらいで貴重な物として扱った。煮物やきんぴら等の味付けにもこのたまりを使った。大根煮物などは、味噌漬けの味である。

 法事のそば

 法事の前日は、皆手伝いに出た。沢山打っておいて、当日は一かえづつ玉にとってはお椀の中へ「おかわり」といって開けて給仕した。そばのきらいな人は湯とうじにするか、或いは、お煮かけにして出した。法事は泊まりがけであった。夜はそばで朝は御飯で寝具からすべて用意しなければならず大変なさわぎであった。夕飯だけの法事は、かたけ法事といった。

 服部秀子記

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笹餅 諏訪の原 大西 徹さん(六十才)
 田植えが終わると五日間休みをと云って村中が一斉に農休みに入る。この期間は野良に一切出ない事が古くからの申し合わせだ。
 田休みになるとどこの家でも笹餅をついて田植えが無事に終わった事を祝ったり、幾日も続いた田植えの疲れをいやしたりする。
 この笹餅も以前は臼で搗いたので「あゝ今日はどこそこの家は餅をついているな」と杵の音で分かったものだ。最近は機械づきになったので、景気のよい音は聞かれなくなったが、山から笹の葉を取ってくるのを見かけると、あの家も餅つきが始まるなとわかる。「あの山の笹はまだ小さい」とか「どこそこの沢へとりに行ったら丁度良かった」とか、集落内を笹の葉の大小やら遅い早いの情報が流れる。
 笹餅は今年出たばかりの笹の葉を山からとってきて、それでつきたての餅を包む。餅はあんを中に入れたものと、あんを入れずに餅だけを小判型に平たくのばして二枚の葉で包み、黄な粉をつけて食べるものとあるが、最近は小判型のものはあまり作らなくなった。餅は作って一日位たつと食べごろの硬さになり笹の葉をはがすと、緑の葉の中から真っ白な餅が顔を出し笹の葉のなんともいえない香りが漂う。「笹餅はなんといっても田休みのものが一番うまいね」といいながら食べる。たしかにお世辞ぬきでこの時期の笹餅は一番うまい。昔は田休みになると嫁さんはこの餅をみやげに実家へ田植えの骨休めに帰ったものだ。他所へ嫁に行った娘たちも実家の田植えには手伝いにくるので田休みになると娘たちの婚家先へもそれぞれ笹餅を届けたものだ。最近は田植えも機械植えが多くなり、娘たちも農家へ嫁ぐ者が少なくなり従って田植えの手伝いにくる者はめっきり減った。しかし笹餅だけは忘れずに毎年届けられる。いわぱ季節の贈物として宅急便が忙しくなってきた。それも、近頃は生活の知恵で遠くへ送る餅は、いったん冷凍庫で氷らせそれを宅急便で送ると途中でとけるので先方へ着く頃は丁度食べごろになるというのだ。日頃なにかと疎遠な娘たちもこの時期になると故郷を思い出すという。「田植えの手伝いにもこない者に餅を送ってやるものか」と思っても、この時期になると又、娘たちの分までついてしまう。笹餅とはまことに不思議なものだ。

 

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手 打 そ ば
     柏原仲町中村百代さん(七十五才)

 米の代わりや祝事の御馳走によく使われたそばの事について聞いてみた。
 昔、柏原ではそばを収穫すると、たたいて自分の家で引きぬきをしたもんですわ。(石臼で皮を取る作業)。それで皮は枕に使って、実は自分の家で石臼で粉にしたり、沢山作っている農家では、柏原では「かつら屋」さんに頼んで粉にしてもらったんです。かつら屋さんでは、大きな石臼で碾いていたらしいよ。そばを打つ時使う荒びきとそばにする粉の二種類を碾いて、一番粉・二番粉・三番粉などは作らなかったね。
 収穫は十月にして、農家は忙がしいからお正月にかけて粉にした農家が多かったね。そばのからつきのままなら保存できるけど、皮を取ったり、粉にすると保存が出来ないんですよ。一般に来春の三月一ばいで、四月になると風味が落ちるんでネ、三月までに食べるんです。夏そばは(八月に収穫)、柏原では作りませんね。夏のそばは短かく切れて、小麦粉を半々にしないとだめだし、小麦粉臭いからネ、三月までにそぱを二回位碾いて食べるのが美味しいんだが、一斗や二斗位の家では一度に碾いて三月まで使っていたネ。
 作り方かね、話しだけでは分かりにくいが、昔はそぱ粉100%で(新しい粉なら良く出来る)作ったんでネ、講習会でやる八・二そばとは違うよ。そば粉一升に湯じめして(沸騰湯)生ま粉のないょうに良くまぶす(手で握ってから開いた時バラット崩れる位)それから水を二、三回少しづつ入れてまとめて耳たぶ位の固さにして固いと思ったら、こね鉢の外側から少し水を入れて良くねるんですわ。そして、のし棒でのして切れば出来上りですね。
 うどんも家で作ったけど、その家にもょるけど、うどんのほうがのす時に弾力があるので、返って来て大変だからそぱを打つ人が多かったようですよ。
 そばの値段?。米より安かったね。
 出来上ったそぱの保存ですか?今日作ったものを夜までに食べるのが一番美味しいね。だけど乾燥しないように凍みないように上手に保存すれば一日前に作っておいても美味しく食べられますよ。薬味は、にぽしと醤油で作った汁に、ネギ・大根七味などで食べたけど、人によっては、味噌汁・ゴボウのだし汁・もろみ・辛漬の素の汁を好んで薬味にしたと聞いた事もありますがネ。普通の日には、お米の代りにそばを食べたけど、お正月、里帰り、お祭り、いろいろな御祝事の時、人に頼まれて、わしら夜も寝ない位にしてそぱを打ったもんですよ。風邪を引いても、朝早くから打ちましたです。
 そばのつなぎは、いろいろ聞きますが、柏原ではつなぎを使う場合(昔は暖かくなりだす四月以降使った)小麦粉だけで、ほかのものは使わなかったね。

 コメソト

 そばは、米の代りに常々食べていた家もあったようですが、お祝事の時は天ぷらと並んで最高の御馳走だったと申され
ておりました。柏原では、そばは仏事には使用されないとも聞きました。
                    

山田千里子・仁科佐保子・小林浩子記

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笹  寿  し


 熊笹が手頃な大きさになる頃、田植も終り、農家ではホットー息といった時期となります。
 そんな頃、母はよく笹寿しを作ってくれましたここは、新潟県境でもあったことと、母の母(祖母)が新潟県の生まれでもあったことから、この笹寿しは幼い頃から食べておりました。
 今の様に冷凍庫があって笹を保存しておくこともなかった時代に、毎年かゝさず作ってくれました。そんな母の味が忘れられなく、今私もその頃よりも一寸工夫して作ります。
 その頃は、いり卵・佃煮・干瓢・味噌漬・田麩といったあまり手のかゝらない材料が寿し御飯の上にのせてあった記憶があります。
 作り方は簡単で、笹の上に寿し御飯をのせ、その上に佃煮等の具をのせて、大きな器の中に次々と重ねて、暫く重石をして出来上ります。そんな素朴な具と寿し御飯が笹の風味とマッチして食欲を添えてくれます。あの大きな熊笹の緑と香りが、ふる里を表現してくれる様な気がします。そして我が家では必らずふる里の味として旬になると、一・二度は作ることにしております。今は昔とちがって物が豊富な時代です、一寸工夫して作ると美味しくいただけます。

                 草の芽会 小林 浩子

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やしょうま

 諏訪ノ原吉川三枝子さん(六十七才)

 おら子供の頃は、禅宗の家しか作らなかったでな、白い米の粉に大豆か胡麻、少し巧者な人は一月十五日の物作りの時の小判を取っておき渦巻きや、しんに入れて作ったり、また箸二本で両側から押さえて、島田だなんてこしらえて、学校から帰って来てから、やしょうまを引きに行くと、二つづつ貰ったもんだでな。今は三月になれば店に出ていたり、禅宗でねえもんだって作るけど、子供の頃、何でもねえ頃だったから、一年の行事等はたのしみだったでな。

コメント
 やしょうま引きと言うのは、やしょうまを貰いに行く事で、やしょうまと言う馬に見立てたので引きに行くと言う。

                    黒田 直子記

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豆腐づくり
  大豆を二日程水に浸し、暮の二十日頃になると近所の人達が寄り合って豆腐づくりを行う。
 土間の中央に大きなハギリ(桶)をおき、その上に棒をわたし、石臼を置き、二人で向き合って大豆を挽く。
 大釜に火を炊いて生豆のご汁を煮立てる。麻の布袋に入れて絞ぼる。しぼった液の中にニガリを入れる。回りに穴のあいた箱の中に流し込み、固まったものを切り、冷たい水の中に入れて出来上る。一軒で二箱位(二十四丁)づつ、大量に作ったのでお正月中存分に食べられ、お客様の吸物になど使った。この暮の豆腐作りは近所の人達が和やかに話合いながらする作業で、たのしい年中行事の一つでもあった。今でも行われている所も
ある。

                  五岳会 棚橋 千代子

 

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あ ら ね

 春三月から四月にかけて、あらねを作ります。お正月のお餅の切れ端を薄く切って、かき餅にも作りますが、春になるとあらね餅をつき、小さく
切って広げておきます。急に乾かすと硬くなるとの事で、新聞紙等をかけて居き、だんだん乾かします。
 昔はどこの家でもたくさん作り蚕棚等に何枚も広げて干し置いた物です。この頃はだんだんに少なくなりあらね餅もつかない家もあるようですが、我が家では私か嫁に来るからずっとました。毎年ついております。昔は卵を入れたり、重そうを入れたり、ゴマを入れたり、色んな事をして作りました この頃は何も入れないで作り、あらねではなく、かき餅専門になってしまいました。
 よく乾いたらカン等に入れて居きます。油で揚げて砂糖、醤油をつけておくと、とっておきのお菓子になります。夏畑に出る様になると、とてもよいこびりとなります。又、我が家の手作り食品の一品として貴重な存在を保って居ります。                 

ささの実会 黒田 久美子

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凍み 大 根
  落合小林マツイさん(八十三才)

 真冬の寒じる時はよく凍み大根も作ったもんだよ。雪を掘って土の中へいけてある大根蔵から、大根を掘り出し洗って、一寸位の輪切り(三寸位に切って二つ割か四つ割の縦割でも良い)にして箸が通る直の柔かさにゆでる。真中に箸で穴をあけ、そこに藁を通して二・三個づゝで一連として軒下に干すんだ。凍みたり乾いたりしてニケ月位すると、よく乾燥するから、しまっておいて田植えの煮物なんかに、こんぶやにしんと一諸に煮たもんだよ。とてもうまかったなー。
 田植えの頃は、まだ野菜もあまり穫れないし、凍み大根を作っておくとちょうほうだったよ。

小林三枝子記

 

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や た ら

 新鮮なきゅうり・茄子・みょうがをみぢん切りにし、そこへこしょうも少々切って、辛みををきかせ味噌漬(大根でもきゅうりでも良い)もみ
ぢん切りにして混ぜ、あまり水分が出た場合は軽くしぽる、味が薄かったら、しよう油をかけて出来上り、スプーソで御飯にかけて食べるがみょうがの風味がピリッと辛く、本当に美味しいものだ。食欲のない時など食が進むと言われる。
 ある親戚の家へお葬式の手伝いに行った時、この「やたら」を御飯のおかずの取廻しに作った事かあった。とても好評であっちでもこっちでも引っ張りだことなり、器がみんな空になった事が思い出される。

                  ときわ会 小林三枝子

 

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大根のいくさ汁 落合小林マツイさん(八十三才)
        

 「今夜はさぶいから大根のいくさ汁でもするかい。」と言ってよくやったっけ。大根のとれる秋は、おかめ大根がやっこくて、じきに煮えてうまかったな。四つ割か六つ割にして二分か三分(一センチ)位に切って(春近くになっての大根は固くなるのでもっと薄く切る)ぐつぐつ煮て、そこへじゃが芋、人参を入れて更によく煮て、味噌で味をつけ最後にすり鉢でよくすったいくさを入れて出来上り、汁ごと食べるので、体はあったまるし、いくさの風味がして、とてもうまいもんだよ。
 いくさは今は、代蒔きにするけど昔は豆や小豆の中へ入れこにして蒔き、たんと穫った時は、一斗五升も穫った時もあったっけ、冬、お雑煮ののたにしたり、ささげやうどをお和えにしたりして}年中食べていたな。お雑煮にいくさののたをかけて食べていたな、お雑煮にいくさののたをかけて食べると一味違ってうまいもんだよ。

入れこ=二種類一緒に蒔く事(大豆といくさのように)
のた=いくさ、くるみ、落花生等、すり鉢ですって、砂糖、だし汁で味付けし、とろりとさせたもの
お和え=和え物

                    小林三枝子記

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大根のきんぴら

     諏訪ノ原吉川三枝子さん(六十七才)  

 今は一年中、婚礼・法事、いつでも都合によりやるけど昔は三月か四月、暖かくなって来るとやる。寄り事が有ると一番先、手伝いに行った者は、「何するね。」と聞き大根のきんぴらを作った。
 春になると皮も黒くなるのを取り短冊に切り、人参、じゃがいも、竹輪、コソニャクを油でいため、大きい鍋で煮て赤胡しょうの皮を入れ味をつけたのは美味しかった。
 二日位温めながら、お茶、御飯のおかずに丼に入れて取り回しに出した。

 

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こしょつ漬

 こしよう漬は、細く柔かい大根にこしょう漬の素を間に入れながら漬けた信濃町独特の漬物です。こしよう漬の素は各家庭で作ってある野菜、きゅうり・コショウ・コショウの葉・ミョウガ・シソの葉・シソの実等をなるべく若取りする。この地は夕方から夜にかけて露がしっとりと下りるので、水分を充分に含んだ野菜は、何ともいえない美味しく仲々の好評です。
 最盛期のきゅうりは、朝と夕方二回に取り込み、野菜一〇キロに対し塩一キロの割で漬けます。水がなるべく早く上らせるために重石を強くして漬けます。これを三日〜四日位でいったんざるに上げ、新たに前回の半分の塩五〇〇グラムで漬け込みます。これを二番漬といいます。
 これを毎回くり返し二番漬の出来だ物は大きな桶に次々と漬けこみます。これがこしょう漬の素になります。 大根は八月下旬から九月上旬に種をまき株間は、十五セソチ間隔にして生育させます。
 秋になって大根を穫ってすぐに洗い、しんなりする程度にほし、太さは直型三センチ位までが最適と云われています。
 この大根、二〇キロに対しこしょう漬の素五キロを適量として交互に漬け込みます。この時、カライモがあれば同時に漬け込むと歯ざわりが良く美味しいと云われています。なるべく早く水が上るように押石を強くして、十二月中旬頃から、大きめな乱切にして食べると、御飯のおかずに、又御茶うけに最適であり、シソの風味とコショウの辛さが何とも云えない美味しい漬け物です。昔は餅つきのキネの音が聞こえてくるとこしょう
漬か食べられると言ったそうです。
 この外に、リソゴの皮やかきの皮等入れて漬け込む方法もあります。
 厳寒の頃手打そばのタレに、このコショウ漬の水でいただく方法も我が信濃町ならではの食事かと思われます。昔、こしよう漬大根は、そばのいれこに蒔いたものだそうです。

                  ときわ会 原山ミヨイ

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