うまさの発見

                         生活改良普及員 池田玲子

  私は、この世に生をうけて生きがいはと問われたら「おいしいものをたべることよ」と即座に答えることにしています。今度開店したレストラソのステーキがおいしいと聞けば給料日を待って一人でこっそりと出かけ、一杯1200円のコーヒーも勿体ないと思わずにのみにいく。(といって味覚が並はづれてすぐれているわけでもなく、喰気と好奇心だけでどちらかといえば味音痴の方ですが)そして「美食をしないということは人生の何たるかを知らないことよ」と豪語していた結果が肥満率20%の体重となっています。
 そんなある日強烈なパソチを受けました。有名なレストラソのコックにハンバーグの作り方を習い、うっとりその手さばきを誂めていた時、「次に調味料を]と白いものをドドドと入れたではないですか。さすがにその日からハソバーダはたべないことにしています。
 そんなこんなで50才に近づいたせいか、わが家の食卓はガラリと変ってしまいました。おいしいという価値がかわってきたのです。ほんとうにおいしいというのは.料理に凝るのではなく、畑でうれた旬のそれも適地適作の農作物で、ついさっきまで畑で生きていた素材であることだと理屈も舌もわかるようになってきました。というのも信濃町のおいしい大根・トマトーそば……などをいたゞいたことでわかってきたのですが。
 それからもう一つおいしさの条件は料理が何らかの物語りをもっていた時に感じることです。たった一粒の銀杏でもふるさとのお寺の庭から母がひろってきたとでもいうのなら、あごがだるくなるまでかみ、正月のかざり餅のひっかけをストーブでやきながら、かつて日本人が神とのかかわりの中で心臓を形づくって供えたことなどの講釈をしながらたべるおいしさ、まさに「こだわりの食事」というのでしょうか。そしてそこに相手への心づくりがあったとしたら、とびあがってよろこんでしまいます。人間最後にいきつくおいしさとは、自分の生まれ出た所、すなわち物心ついた時の食卓であり、日本民族の心なのでしょうか。
 そこに「私の郷土食」があっことを発見した今日この頃です。そして、最後に信濃町のたべものが最高においしいと思うようになったのは、私の生まれたふるさとと同じ雪深い里のまっ黒な土からとれた作物で、みなさんの心づくしがあったからこそだと思い、そんなことを無言で教えてくださったみなさまにただ感謝/\。

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